2011年12月14日

【ここらあで謎解きぃゆうのはどうどっしゃろ?】 第一回:繁華街の賑わいを割って立つミステリアスな寺 (前編)

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自己紹介および寄稿動機と経緯

今年の4月より京都に来ている。

東京の大学から、国内留学制度を利用して越してきた。
これは、ずっとこの地に惹かれてきた僕にとって、一つの夢が叶ったような事実だ。

京都の魅力を伝えようと思うと、どうしても時間がかかってしまう。
さすがは日本が誇る大文化地域である。
京都としても、よその青二才にそう簡単に語られてはたまらないだろう。

すでに半年が経つが、
今日まで僕の好奇心は「余生に不足が生じるのでは」と思われるほどに
勢いよくこの地に奪われている。
それだけ魅力の尽きない土地だ。

留学についてであるが、在期が残りわずかとなってきた。
そこで一層の使命感が芽生える。
「残された月日で京都を味わいつくさねば!」。

ある意味逃避行のようなこのたびの留学もとい遊学で、
なによりの優先事項はこの<必修演習科目・単独京都探訪学(4単位)>だと思う。
そしてこれを種に、なんらかのかたちで社会貢献がしたいと考えた。

こうして、「どこかで京都にまつわるコラムを書きたい」と考えが飛躍した。
ひいては執筆にあたって、この地で見たもの・知ったこと・考えたことを、
僕の危うい感性と視点でもって記録して京都アーカイブとし、
例えばなかなかこちらへ来られない方々にエッセンスだけでも伝えたい、と思った次第である。

すごく建前のように聞こえるが、ここ日本の<特別な京都>を
できるかぎり多くの方に伝えたいと思う気持ちに、一切のくもりはない。
ここに不純物ゼロの動機を誇りたい。

俗世を離れ、一人ゆうらり、思慮深い顔をつくりながら、
この美しき古都を歩きまわる。

長く憧れてきたことではあるが、翌年に就職活動を控える大学2年生にとって、
この暴挙が後にどのような結果を呼ぶのか、恐ろしくて考えたくもない…。

この年にして、
まだ見ぬ先の人生における伏線回収に不安を覚えるとは予想もしていなかった。
英断といえば英断である。


いよいよ内容に入ることになるが、なにをもって特別とするのか。
「<特別な京都>を多くの方に伝えたい」と大声で言ったはいいものの、
ことに京都という題材は、あらゆる方面で開拓しつくされてきた感がある。
ここの京都記事は一味違う、と思わせるコンテンツはどこにあるのか。


この地には、10メートル歩くだけでなにかしらのミステリーに遭遇する。
たとえば、なんでもない住宅地の下宿の裏に、こつぜん物々しい顕彰碑が立っていたりする。

「なぜここに?」「どんな由縁が?」「そんなはずはない!」こんな発見が、
湧くようにあるのだ。そうなると、ここに注目しないハナシはない。

つまり、日々遭遇するミステリーをネタに、
その疑問解決(発祥から関連秘話まで)を目標に毎回レポートができれば、
ありふれた名所紹介記事とはギリギリ一線を画すものになり得るのではないかと思うのである。

ここで、生活に刺激を求めている人、退屈している人や疲れている人にも提案したい。
仕事が進まないとき、ヘアスタイルがきまらないとき、人間関係がこじれたとき、

僕は
「ここらあで(このあたりで)、
 謎解きぃゆうのは(謎解きなんて)どうどっしゃろ(いかがでしょうか)?」

と京都弁で聞きたいのである。


第一回:繁華街の賑わいを割って立つミステリアスな寺

京阪祇園四条駅を降りると、目前を流れる鴨川に四条大橋がかかっている。
ここから北を眺めると、夏のあいだ三条までつづく川床景色を楽しむことができる。

この界隈は夜に観光すると灯りがとてもロマンチックで、
僕もはじめて来た時は感動で言葉をなくした。

鴨川によって東西に分けられた繁華街は、それぞれ特有の雰囲気を持っている。

川西の繁華街には百貨店やビルが多く、どちらかというと若者の街といったところだろうか。
いっぽう東側には民芸品店、劇場施設、演芸場などが並ぶ、文化に賑わう街がある。

僕としては京都のイメージは川東にあると思うのでこちらをよく訪れるのだが、
歩くたび気にかかっていたものがあった。

それは、繁華街(それもメインストリート沿い)に突如出現する
「仲源寺(ちゅうげんじ)」である。

さて、ここらあで謎解きぃゆうのはどうどっしゃろ?
今日こそはこの寺の出自を解明してやろうではないか。

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駅を出てすぐ、四条大橋から鴨川東の祇園界隈をのぞむ。右手に見えるのは南座。


次回、仲源寺レポート報告。ショッピングに勤しむ人々の往来を割って屹立する、パンクな寺の生態とは?
          

                      
絵と文 川ア 貴彦 [PROFILE]


2011年12月21日

【ここらあで謎解きぃゆうのはどうどっしゃろ?】 第一回:繁華街の賑わいを割って立つミステリアスな寺 (後編)

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立地も居ずまいもアブノーマル!祇園四条の<メヤミ地蔵>?

さて、繁華街に突如現れた(ちゅうげんじ)。
なぜにこのようなところで堂々としているのか、来歴の気になるところである。

門前の建石には「めやみ地蔵尊」を祀るとある。
そこで、お参りもそこそこに本尊をお目にかかろうと堂内をのぞいた。
実はこれまでこの寺には日中にしか訪れたことがなく、
昼間だと光線の具合でお像がよく見えないため、今日までその正体を確認できずにいた。

しかし学習能力こそ人間の妙なる才。
決着をつけるべく日没後に訪れると、堂内に電燈が点り、
それはそれは立派な全体像を鮮明に拝見することができた。

特にその目がすごい。気圧されるまでの眼力である。
さてこの「めやみ地蔵」、問題の<仲源寺が脈絡なく繁華街に出現する謎>を解く鍵となるのか。

境内を見回すと、さっそく有力なてがかりを見つけた。
本堂に提がる提灯に「目疾地蔵尊」の文字がある。なるほど!そうか!
「めやみ地蔵」は「目疾地蔵」だったのである。

疾は病(やまい)に同じであるので、おおかた予測のつくところこの像は目の神様であり、
参拝すれば目の病気回復にご利益があるとかそういう因縁に違いない・・・。
ひきつづき境内を散策していると、今更だが門前に立て札を確認した。
そこには次のような説明書があった。

「寺と地蔵菩薩の名の由来は、安貞二年の鴨川氾濫時に、
 勢多判官中原為兼(せたのはんがん・なかはらためかね)が、
 防鴨河使(ぼうかし)になった際、この地蔵菩薩が溺れ人を救う姿を見、
 それ以降地蔵菩薩を<雨止(あめやみ)地蔵>と称し、
 <中原>の傍らに人と水を添えて寺名としたことによる。
 その後、信仰深い老夫婦の眼病を自らの右目に移し、苦しみを救ったという逸話から、
 いつしか<目疾地蔵>になり、現在も眼病治療に霊験があるとして広く信仰を集めている。」
(一部)

高札ひとつにこうまで簡潔に説明されてしまうと、
このレポートの存在意義がいよいよ危ぶまれるのだが、しかたがない。

検証をつづけよう。
札によると、先のお地蔵様は在りし日の鴨川氾濫時に溺れる人々を救い、
それを見た役人の中原さんが<雨止地蔵>と命名。

その後、信仰深い老夫婦を眼病の苦しみから救ったとの逸話から、いつしか<目疾地蔵>になり、
現在も眼病治療に霊験があるとして広く信仰を集めている、とのことである。

やはり眼病治療・・・。
目のつけどころは悪くなかったが、
どうやら元は<雨止地蔵>であったという事実を間に挟んでいたようだ。

これは予想だにしなかった。
それに、<人命救助→雨止地蔵と命名>の因果がピンとこない。
しかし自らの名字に人(にんべん)と水(さんずい)を添えて
<中原>を<仲源>と改めて寺名としたとの部分は洒脱な由来である。
なんというか、この役人にはスキがない。

おもしろい新事実がつぎつぎと出てきたのだが、
本題の「なぜこんな雑踏のなかに寺があるのか」という疑問については応えていない。
これはさらなる調査が必要である。

翌日、図書館にてピースを一片ずつそろえる作業におわれた。


暴れ川vs治水神

いくつかの文献によると、その昔、鴨川は暴れ川として名を馳せていたようである。

鴨川ばかりが荒れていたわけではないであろうが、
天下の大都のそばを流れていれば、氾濫の際に被害が目立って当然だろう。

平安時代、こういった氾濫に際して
防鴨河使(ぼうかし)とよばれる役人が鴨川の治水対策を担当した。
札に書かれていた役職である。

ところで鴨川の東にあるこの土地は、
鎌倉時代の禹王廟(うおうびょう) にはじまる治水神の聖地であったという。
なんとこの地に治水神が祀られていたのだ。

そこで防鴨河使・中原さんはここを治水の元締とし、
その本尊として<雨止>すなわち<水を治める>地蔵を祀り、
ちゃっかり自分の名前まで寺名に忍ばせた、というわけである。

※ 中国の治水神である夏(カ)の禹王を祀る社。
禹は古代中国の伝説上の人物で、黄河の治水に成功した夏王朝の創始者。
中国では今なお禹への信仰がつづいている。


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仲源寺正面。奥に見えるのが本堂。門には「雨奇晴好」と書かれた額がかかっていた。 

洪水の危険から開放された今、鴨川は絶好のデート・スポットに姿を変えた。
夏の宵、川辺に座るアベックの大群はまさに壮観である。
今こそ暴れよ鴨川!!とは決して言うまい。

人の往来にぎやかな祇園繁華街のまんなかで、
そこだけ不気味な雰囲気を漂わせていた仲源寺は、
かつて鴨川の氾濫を鎮めた治水神・雨止地蔵を祀り、
京の人々の生活の安寧を見守る場所だったのである。

穏やかになった鴨川のそばで、
仲源寺では今でも、人と水がつりあいを取って寄り添い合っている。

後に雨止地蔵は、転じて目疾地蔵と称されるようになり、
いまは眼病治療の助けとなると信仰される。

ところで世の中には、前述の「群れをなすアベック」のように、
見えなくてよいものが溢れている。
そういえばクリスマス・イヴももうすぐそこだ。
年の暮れ、聖夜その良き日に諸人こぞりて何を祝うのか。
ぼくは何も見たくない。

目疾地蔵に治癒してもらい、すっかり調子の良くなった眼を嘆きながら、
次の謎を探そうではないか。 
                                        

                      
絵と文 川ア 貴彦 [PROFILE]