2012年02月08日

【ここらあで謎解きぃゆうのはどうどっしゃろ?】 第三回:京都会館を守れ!(後編)

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愛媛県日土小学校をめぐる事例から

こうした建て替えをめぐる議論とその後の建築の姿について、
愛媛県八幡浜市の市立日土小学校の事例がある。

松村正恒によって設計されたこの日土小学校は1958年に完成し、
DOCOMOMO20選や建築巡礼四国八十八ヶ所・第四十六番札所にも選ばれた
日本を代表する近代建築であり、松村ともども広く知られた建築である。

開け放された靴箱や図書室から出られる木造のベランダに見られる建築上の特徴は、
こども達が気持ちよく学校生活を送るための松村の配慮だろうか。

教室の床を廊下より下げ、採光条件を高めるなどの工夫がされており、
明るく開放的な建築が実現されている。

こども達がのびのびと健やかに育ち、学んでいくためには
どういった環境が望ましいのか、
ここにもまた、建築の根底にある建築家のまっすぐな思いが読み取れる気がする。
 
ところが日土小は、2004年の台風到来を機に屋根が吹き飛び、
その後も強風時には窓ガラスが破損するなどの被害を受け、
そのつど補修を重ねて対応してはきたが老朽化が進んでいた。

建物の老朽化をめぐって日土小は、
校舎を存続させるか建て替えるかについて
児童の保護者をはじめ地域住民らと議論を重ねた。

ここまで、京都会館の存続をめぐる動きとよく似た流れである。
また、京都会館のそばを疎水が流れるように、日土小学校の裏には日土川が流れ、
奇しくも50年という歴史を節目にこういった分かれ道に立たされる
という点まで同じであることは、ゆめゆめ見過ごされてはならない共通項である。

50という年数に関して、ここには、建築が生き物であり、
人に使われ風雨にさらされることで人の倍の速さで
年老いていくということに気づかせるものがある。
 
日土小は保護者や地域住民との間で慎重に協議を重ね、
最終的に2007年には保存再生への道が選ばれて再生計画が動き出した。

しかし過去の記事を順に追って調べると、
双方の間には長きにわたって埋まらない溝があったようだ。

2006年3月8日の愛媛新聞には、次のように書かれていた。

"全面建て替えを求めるPTA側の委員二人から、次のような発言が出た。
「保存を求める人たちは建築学的なことしか言わない」
「子どもたちを校舎保存の材料に使ってほしくない」
「地域に住んでいる人と一緒に方向性を考える必要がある」"

保存・改修を求めてきた側はとにもかくにも保存を目標とし、
建物の建築学的な評価を前面に出すあまり、
誰によって使われているかを見落としていたのかも知れない。

保護者側はこの点に不信感を抱いていた。
保存を前提に再生議論が進められていることに納得がいかず、
あくまでこどもの安全が第一に考慮されるべきであるとする姿勢を崩さなかった。

このあたりについて食い違いがあり、なかなか距離を縮められずにいたようである。
確かに、命の安全が確保されてはじめて建物にも存在意義がある。

京都会館の存続をめぐる動きにあっても、命の安全を出発点にした再生計画がすすめられ、
その上で保存・改修を求める側は建築そのものの文化的価値や、
建築が人間に与えるもの、与えてきたものの大きさをアピールしていくことが望ましいと思われる。
 
日土小では、構造の補強と用途の変更(特別教室へ)、
増築部分によって安全性および機能性を確保することなどの具体的対策をもって、
旧校舎の重要文化財化を目指す方向性が新たに見出された。

児童の安全確保を第一とする保護者側からは
防犯や耐震の観点から厳しい意見も出たようであるが、
建築関係者は建物の文化財的価値を訴え続け、
双方は保存・改修に向かうかたちで折り合う結果となった。

現存している建築を尊重しつつ機能性を高めるという方向で歩み寄りが図られたようである。


京都会館らしさとは? 

そもそも京都会館は、戦後復興の象徴として建設された文化施設である。

震災や空襲を経験した前川國男(京都会館設計)が、
一人の人間としていかほどの思いをこの建築に込めて眺めていたのか、慎重に考える必要がある。
 
ところで、近代建築が近代建築たるアイデンティティのひとつには、機能美という概念があった。
京都会館は、冒頭に示したように音楽設備に関して非難を浴びている。
ここにひとつの機能性が保証されていないことには、いささか問題があるように見える。

耐震性に次いで、京都会館の機能的不備が問われ、
そうした要因が建て替えという緊急事態を招かんとしているということは先にも述べた。

しかし私たちは、前川の過ごした時代や建築を振り返る立場にあって、
必ずしも機能ばかりが建築の価値でないことを知るようになった。

言ってみればそれこそが現代の建築の貢献であり、
今こそ機能を離れた評価が下されるべきときである。

そうでなくてもこの京都会館には、
巧みに組み合わされた大ホールと小ホールのプロポーションであったり、
自由な室配置によって作られた均衡の繊細さなどに近代建築が獲得した空間の特質が見出される。

何を守っていくべきか、遺されるべきは何なのかということを、
この一件を機に多くの市民が考えることになるだろう。

 
遺すべき豊かさ 

私たちにとって豊かさとは、
利便性や実用性にのみかなったモノ・コトによってもたらされるものであっただろうか。

そうではない。
背景やコンテクストから独立して、
それが「ある」というだけで誰かに喜びや強い感動を与えてくれるものこそが
人間の心を豊かにし、記憶に残っていく。

建築にあっては、それこそが強い建築であると考える。

また逆に言えば、背景やコンテクストに依存して、
つまり歴史や文化と共にあって、ゆっくり静かに「ある」ことを深めていく
「弱さ」というものをおざなりにしないことが、建築を守っていくということなのかも知れない。 
 
京都会館は、建物の老朽化が進む中、安全性の解決が急務となっている。

建て替えを望む側と保存・改修を訴える側の双方が、
建物の安全性確保と文化財として保存していく方向を両立させる道は見つかるのだろうか。

見つけなければならない。
日土小学校が命を救われたように、前例にならった処置がとられていくべきである。

‐あくまで人の命あっての建築であること‐出発点だけははっきりしている。


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京都会館の立つ岡崎は、京都きっての厭世エリア。そばには平安神宮や美術館が。                                       

                      
絵と文 川ア 貴彦 [PROFILE]   
 


参考
『朝日新聞』2011年12月9日
『愛媛新聞』2006年3月8日
『日本経済新聞』2010年6月14日、同6月25日
『建築ジャーナル』2009年10月号
京都建築倶楽部編『モダンシティー・KYOTO‐建築文化のカタログ都市』淡交社、1989年。
日土小学校を考えるネットワークhttp://wada-archi.com/hizuchi/index.html§ 




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